セルフ・リライアンスという生き方

自立した個人として豊かに生きる。長期投資のメモ。

投資に対する考え方の変化を振り返る

投資信託中心に分散投資するスタイルになって約5年です。

ここ1~2年ぐらい、初めの頃とは、投資に対する価値観がだいぶ変わってきました。
自分でもまだ変化の過程にありますが、今時点の考え方をまとめます。
(長文です)

「資産運用」+「意志あるお金」としての投資

以前は、投資の「資産運用」としての面=「個人のお金を増やす」側面のみに着目していました。

しかし、投資の本来の意味は、資金を必要とする人に自分のお金を融通して、広く世の中の役に立つように使ってもらうことです。
これは、投資=自分の代わりにお金に社会で働いてもらうこと、とも言い換えられます。

そのように考えると、自分の仕事を自分で選ぶのと同じく、自分のお金が働く場所=投資する相手(人、企業、事業、国・・・・)も、自分の意志で選択するという当たり前のことが見えてきました。

自分のお金なんだから、自分がいいと思う社会に役立つように投資したい、自分の思想信条や興味関心をより反映した使い方をしたいという意識です。

もちろん、個人の投資の主目的が「資産を増やす」ことであるのは自明のことです。
ここで言っているのは、どんな人、会社、あるいは国にどんな方法で投資するかというやり方の部分です。

お金には色はないです。
ただ、「意志(意思)あるお金は社会を変える」という言葉のとおり、それが消費でも、預金でも、寄付でも、投資でも、個人個人が何にお金を投じるか次第で、社会全体も大きく影響を受けるのは確かです。
そのような意識や自覚が最近高まってきました。

経済的リターンと非経済的リターン

以上のように価値観が変わってきた理由は、年を取ってきたことや、お金に多少ゆとりが出てきたこともあるかもしれませんが、大きなきっかけの一つは、鎌倉投信との出会いです。

運用会社や投資先企業、周囲の人たちの取り組みを知るほどに、われわれ個人投資家のお金の投じ方次第で、社会をよくしていける可能性があること、また、その結果として個人の経済的リターンも高まる可能性があることが分かってきました。

例えば、鎌倉投信では「投資の果実」を次のように定義します。

(<「結い2101」のご案内>より引用)

『(前略)投資家の資産形成を図ることは、投資の果実の重要な要素の一つです。しかし、鎌倉投信は、 投資というものをもう少し俯瞰的に見た時、「投資の果実」の概念はもう少し大きなものになると考えています。

投資する先の会社が行う事業、その事業やそこに関わる人によって創造される「社会形成」や、価値を創造する会社と関わることによって得られる投資家の「こころの満足度」もまた、大切な要素だと思うのです。

投資の果実を、投資家の「資産形成」、「社会形成」、投資家の「こころの満足度」が 掛け合わさったものとして捉えたら、投資の社会的意義やお金の価値は更に高まると考えています。』

この考え方(経済的、社会的、個人のこころのリターンの3要素)は一見、きれいごと、宗教的のようにも見えますが、実はそうでもないと思います。

実際に、自分も、経済的な部分以外に、投資を通じた投資先、社会との関わり感や、人生でのプラス面(投資先の取り組みからの学びや気づき、投資仲間との人間関係、仕事へのいいフィードバックなど)を感じています。
まわりの投資家からも同じような意見を聞きます。

投資先企業から見ても、特に、小規模な非上場企業などの場合は、ファンドからの資金が貴重な糧となって、その後の事業継続につながっています。

また、このような投資のリターンに対する考え方は、鎌倉投信に限った話ではありません。

社会的意識の高い企業のパフォーマンスが優れていることを示した「世界でいちばん大切にしたい会社(コンシャスカンパニー)」という本が、短期的な株主利益を重視する欧米で反響を呼びました。
また、国際協力の分野でも「社会的投資」が注目されているように、世界的な潮流になりつつあります。

私個人のお金の量は小さいですが、投資を通じて、「資産形成」としての役割(=フィナンシャルリターンの追求)に加えて、社会形成にも関わり、人生の満足度も高めていければと思います。

具体的にどう投資していくのか

まとめると、今の自分にとっての投資の目的は、、

個人の資産形成のための資産運用であると同時に、意志あるお金の使い方を通して、よりよい社会形成に参加し、人生の満足度も高めること。

です。

(注1)
「よりよい社会」は、自分にとっての、という意味です。よい社会とは、個人の価値観によってさまざまです。歴史と民主主義によるある程度の合意はあっても「何がよい社会か」についての絶対的な定義付けはできません。

(注2)
個人の価値観を反映したお金の投じ方もさまざまです。「いい社会」に着目することも一つに過ぎず、「毎月分配型投信を買わない」とか「手数料の高い商品を買わない」も一つの価値観の反映だと思います。

こう考えていくと、投信全般に限らず、個別株、クラウドファンディング、・・・ など、自分の価値観に合った「お金に活動してもらう場所」はいろいろ考えられます。

一方で、投資の本来目的である「資産形成」をおろそかにしては本末転倒です。
社会に役立ちそうだからといって投資していたらいくらお金があっても足らないし、資産を減らすことになるでしょう。

リスクを取りすぎない分散投資(資産分散、時間分散)と、資産形成のハンデとならない低コストな運用は前提として必要です。

その点から、今後も、分散がしやすく、コストも低い投資信託の割合が高くなるとは思います。

また、効率的に資産を増やすために、個人型確定拠出年金など、資産形成に役立つ制度も今までどおり使っていきます。

理屈っぽい文章になりましたが、今考えていることをまとめてみました。

投資に求めるものは人それぞれですが、こういう考え方に共感してくれる人が増えたら、「投資」という言葉のイメージはもっとポジティブなものになると思っています。