セルフ・リライアンスという生き方

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世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学(近内悠太・著)【読了メモ】

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近内悠太さんの「世界は贈与でできている」を読みました。「贈与」という言葉が目に留まり、思わず手に取りました。

生きる意味、仕事のやりがい、大切な人との関係性・・・ 
お金では買えない、経済合理性では説明できないけれど人生に必要なもの。これらはみんな「贈与」の原理によって成り立っています。だから、贈与を理解することは人生の意味を知ることに近づきます。

贈与は受け取ることから始まる

贈与は受け取ることなしには開始しない。返礼として始まる。
過去から無限につながれてきた贈与の連鎖の中に自分もいる。

これがこの本の一番の気づきでした。

「贈与」に対する概念は「交換」です。
寄付を例にとると、相手からの感謝や、他人からの評価という”見返り”を求める寄付は「贈与」ではなく、「交換」の原理に基づく偽善だと書かれています。そうではなく、過去に受け取ってきたものに気づき、純粋にお返ししたい、という気持ちが贈与です。

私は寄付には熱心な方ですが、寄付は自らすすんでしているもの、と思い込んでいました。しかし、私の寄付がもし本当に「贈与」であるならば、今までにいろんな人から受け取ってきたお返しを誰かにしているということになります。自分ではあまりそういう意識はありません(潜在意識の中にはあるのかもしれません)。

さらに、サンタクロースを例に、「贈与者は名乗ってはならない」という指摘もあります。名乗った瞬間に、相手が返礼の義務に気づく=「贈与」が「交換」に転化してしまうからです。過去にもらった何かを、受取人が、将来のどこかの時点で贈与だったと気づくものが贈与。だとすると、私のしている寄付は結局全て「交換」なのかもしれません。
難しい。

贈与の差出人には、今時点ではそれが贈与だと相手に気づかれないように振る舞い、ただ届くといいなと祈り続ける節度=倫理が必要。
受取人には、過去受け取ったものが贈与だったと気づける想像力=知性が必要。

そして、倫理と知性はどちらが先かと問われれば、それは知性です。
つまり、受取人のポジションです。
なぜなら、過去の中に埋もれた贈与を受け取ることのできた主体だけが、つまり、贈与に気づくことのできた主体だけが再び未来へ向かって贈与を差し出すことができるからです。(p113)

贈与は資本主義のすき間を埋める

もう一つ、とても面白いと思ったのが、資本主義による市場経済システムが存在するからこそ、そのすき間を生める贈与が立ち現れている、ということ。これは、贈与が本来的に、市場経済において合理的とされる等価交換とは相容れない、偶然で不合理なものだからです。

市場経済のシステムの中に存在する無数の「すきま」そのものが贈与なのです。(p224)

「贈与か交換か」という二者択一ではなく、その両者を混ぜ合わせた、社会を作り直す道があるのです。(p227)

市場経済は、全てが交換可能な商品やサービスでやりとりされる交換の原理で成り立っています。

人間関係は、相手が払ったものに対する見返りをちゃんとくれるのか?=「信用」によってたちます。一方、贈与は信用ではなく「信頼」に基づきます。信頼しているからこそ、打算ではなく、純粋に他人に頼ったり、頼られたりすることができ、人は孤立せず生きていけます。
仕事も同じで、経済的なインセンティブだけでは働きがいは得られません。責任感、誇り、使命感、こういったものはお金では買えない、贈与の原理に基づくものです。

したがって、社会性を持つ人間が人間らしく生きていくには、贈与が必要です。

かといって、贈与の原理だけでは社会は回りません。みんなが分業と市場経済のシステムを捨てて自給自足に戻ることは不可能です。市場経済を否定する必要はない。市場経済があるからこそ、その中の不合理さとして現れる贈与に気づくことができる、という指摘はちょっと安心します。

過去からの贈与に気づく想像力

貧困、格差、気候変動・・・現代の資本主義社会はさまざまな「市場の失敗」に直面しています。これを乗り越えるには、歴史に学び、先人が私たちに届けてくれたたくさんの贈与に気づく想像力を持つことです。

確かに、自分の人生を振り返り、今の生活を見回せば、過去の人たちからの贈与にあふれていることを自覚します。それに日々気づき続けることができれば、将来のいつ、誰に届くかはわからなくても、見返りのない贈与を差し出すことができるのでしょう。想像力は「感謝」でもあると思いました。

哲学の本はひさびさに読みました。
最初はぼやけていても、繰り返し読んでいると、贈与の本質がすーっと浮き上がってくる本です。前半の伏線が後半で回収される過程も面白いです。2回読みましたがまだ全部は理解しきれていません。

ウィトゲンシュタインはじめ、多くの思想家や名著の言葉が出てきます。これも、筆者の近内さんが受け取った贈与であり、この本を通じて、近内さんは読書に贈与しているとも言えます。
では、読者である私たちは、受け取ったかもしれない贈与にどう気づき、将来に向かってどう贈与するか? 思索が始まります。

 

お金の面から見た贈与論。

この本にも登場する、クルミドコーヒー。