セルフ・リライアンスという生き方

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鎌倉投信 新井和宏さん×テラ・ルネッサンス 鬼丸昌也さん 「平和と資本主義の未来は『個人』がつくる」・第3回(ゲスト:幸せ経済社会研究所 枝廣淳子さん)

鎌倉投信・新井和宏さんと、テラ・ルネッサンス・鬼丸昌也さんの対談シリーズ。
最終回の第3回は、幸せ経済社会研究所の枝廣淳子さんをゲストに迎えました。

過去2回のレポート記事はこちらです。読んで頂くと3回目も分かりやすいと思います。

第1回(2017/8/21)
第2回(2017/9/19)

枝廣さんと新井さんは、環境と金融という異なる立場ながら、以前の対談で意気投合し、今は「飲み友達」だそうです。
枝廣さんの「幸せ×経済×社会」と、鎌倉投信の「資産形成、社会形成、こころの形成」は重なる部分が多いです。自分もその対談を読んで、一度枝廣さんの話を聞きたいと思っていました。

【過去記事】
鎌倉投信・新井和宏さんと枝廣淳子さんの珠玉の対談記事 | セルフ・リライアンスという生き方(旧書庫)

3回目も自分なりにまとめようと思ったのですが、大事な言葉ばかりでぜひお伝えしたいので、書きおこしました。メモベースなので抜けがあったり、言葉を補ったり、オフレコ部分もありますがご容赦ください。
聞き手は鬼丸さんです。見出しを付けました。

----<以下、敬称略>----

枝廣淳子さんの「つながり」への思い

鬼丸:新井さんは枝廣さんと以前対談されましたが、共感したポイントは?

新井:インタビューを受けた際、まず、自分の話をとても謙虚に聞いて頂ける方だと思ったし、本質を理解した上で質問してくれているととても感じました。やはり、「持続可能な社会」をどうしたら作れるか?という共通の意識がベースにあります。

鬼丸:枝廣さんが「サステナビリティ」に関心をもったきっかけを教えてください。

枝廣:子どもの頃は田舎で育ち、毎年春にはふきのとうやたらの芽で季節を自然と感じていました。ある年、高いところにあるたらの芽を取ろうと枝を折ってしまったことがあります。一度折った枝からは、それ以降芽は出ません。そんな原体験が、「持続性」を意識したきっかけです。

枝廣:もともと環境が専門だったわけではありません。大学では心理学を学びました。人は大切な人やものとの「つながり」が断絶されると、とても辛い状態に陥ることを知り、人と人との「つながり」を取り戻すために、カウンセリングに関心を持ちました。
地球との「つながり」が分断されること=環境問題です。構造的に分断された「つながり」を取り戻したい気持ちがあります。

新井:(つながりについて)3人は別々の分野にいるので、各人が自分の領域の中だけで完結してしまえばその方が「楽」です。しかし、こうやって共通領域を見出してお互いにつながっていくことが大切だと思います。

枝廣:「つながり」を取り戻すには、「ペースを取る」ことが大切だと思っています。今の人たちは忙しすぎ、考える余裕がありません。「効率」や「お金」ではないモノサシを持つ、あるいはモノサシを変える必要があります。

経済成長ではないモノサシ

新井:「効率」を追求することそれ自体は悪いことではないのですが、現代はその「追い方」がまずい。全ての面で効率だけを追いすぎ、バランスを欠いてしまっていることが問題です。

枝廣:「持続可能な成長」と言う場合に、そもそも何を「持続」させるのか、という前提が問題です。多くの人は、「経済成長が持続すること」だと思っています。そうではなく、「地球」や「人々の暮らし」を持続させることが持続可能な成長のはずです。

地球の資源を使って、いらないものを地球に戻すのが人間の営みです。地球はこのソース(供給源)とシンク(吸収源)という2つの役割を持っています。だとすると、地球の資源が有限である以上、無限の成長はあり得ません
エコロジカル・フットプリント(今の経済活動を維持するのに必要な地球の数)は1.6です。地球はソース、シンクの両方の面で限界に来ていることは明らかです。

新井:問題は、金融のように一見有限でないように思えるもの(お金も実際には無限ではないのですが)に、論点を持って行こうとすることです。本当は全て有限であることを受け入れた上で、「成長」を考えないといけない。
経済成長=GDPの成長ではなく、人としての成長にフォーカスすべきですが、人はどうしても数字で測れるものに引っ張られてしまいがちです。

鬼丸:では、私たちが模索すべき「成長」とは何でしょうか?

枝廣:人間の成長に例えると分かりやすいと思います。例えば、赤ちゃんの成長は「体重」で測りますが、成人したら「体重」で成長を測りません(むしろ体重がどんどん増えたら問題です笑)。大人の成長は、人格や知性といった要素で測られるでしょう。
つまり、GDPは体重のようなものです。国や社会の成長段階によって、成長を測るべきモノサシも変わるのです。

日本の人口は過去100年で3倍に増えました。それが今後100年で3分の1になるといわれます。右肩下がりの時代にGDPだけを上げるというのはムリです。

しかし、若い人や学生と話していると、未だに「お金をたくさん稼げば幸せになれる」と思っている人が多いです。お金は確かに必要ですが、求めるべきは「幸せ」です。幸せはお金だけでは測れません。ブータンのGNH(国民総幸福量)は一例ですが、幸せを測る別の基準に転換していくことが必要だと思います。

新井:行動やお金ではなく「精神性」が大切になっていきます。例えばグローバルに活躍している人だけが素晴らしいわけではなく、物々交換で生活する人、物質的ではなく精神的に豊かになることを目指す人も尊重されるべきです。一つのモノサシで測られず、多様な人がバランスをとって生きられる社会です。

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枝廣:3.11の時に、「東日本大震災で日本のGDPは増える」という海外の見出しにショックを受けました。極端な例では、GDPを一番増やすのは戦争です。

鬼丸:昨年、広島で開かれた「国際平和のための世界経済人会議」で、マーケティングの大家フィリップ・コトラー教授と議論する機会がありました。そこで出た興味深い議論で、ネットで「戦争」を検索すると同じような画像ばかりなのが、「平和」で検索するといろんな画像が表示されるという話がありました。今のお話を聞いていて、「幸せ」の多様性と「平和」はつながる部分があると感じます。

枝廣:GNPは、実は、戦争のための生産力を測るために生まれたものなんです。GNPを開発した経済学者(クズネッツ)自身が、GNPは豊かさを測るためのものではないと認めています。

「成長」という言葉には何となくいいイメージがありますが、GDPの成長は本当に「成長」なのでしょうか。それは単なる「拡大」あるいは「膨張」に過ぎないのではないでしょうか

ないものはない、が必要なものはある

枝廣:島根の海士町に関わっています。島に着くと「ないものはない」というキャッチコピーが真っ先に目に入ってきます。これは、海士町にはコンビニも映画館もないが、「なくてもいい、しかし必要なものはある。」という島民の気持ちを表しています。
以前、ワークショップで地元の人からこういう意見が出ました。
「島には花屋はないけれど、どの家にもきれいな花がある」。「島には信号はないけれど、アイコンタクトがある。」 コンビニが出店しようとしたら、島民の反対でかなわなかったというエピソードも有名です。

(海士町は、今あるものを大事にする生き方と持続可能性は両立するというモデルだと思います)

新井:「便利」とは本当に麻薬のようなワードです。便利なものを否定しませんが、過剰な便利さの追求は、「考える力」「人としての感性」を失わせます。人間らしい生活にとってはマイナスです。

枝廣:GNHを導入したブータンでは、テレビやインターネットなど便利なモノをいつ導入するか、国民の生活の状況を見ながら検討したうえで入れています。

鬼丸:アフリカで元子ども兵の人たちと接する中で、多様な価値観を学んできました。援助者の側は、つい「問題がなくなれば彼らは幸せになる」と考えてしまいますが、彼らの抱える様々な問題そのものは簡単には解決しません。むしろ、さまざまな問題を抱えつつも、仕事、家族をもち、地域のコミュニティとのつながりを構築していく過程が元子ども兵の幸せにつながっています

テラ・ルネッサンスの活動国の一つにブルンジという国があります。一人当たり国民所得は世界で下から2番目ですが、現地に行くと「最貧国」という感じは全くしません。以前、TICAD(アフリカ開発会議)で、アフリカ各国が日本に「投資してほしい」と要望する中、ブルンジの大統領は「トタン板と釘と木材がほしい」と言いました。それは、資材をもらえれば、自分たちの技術と努力でできる、という意思表示です。先進国に翻弄されてきた歴史の経験から、自助での国造りを目指す価値観に転換したんです。

人生100年時代の多様な生き方・働き方

鬼丸:「成長」を考え直すことが大事と理解できたとしても、やはり売上、ノルマ、数字に追われてしまう、という方もいます。どうすればいいでしょうか?

新井:これから人口が減っていくので、雇用も自然に減らしていけます。ビジネスを維持拡大し続けなければいけない、という視点を変えることです。

枝廣時間軸を伸ばすことではないでしょうか。長く持続的にビジネスを続けたいのなら、むしろ規模や数字を追わないことが正しい選択かもしれません。

新井:先日日経新聞で、日経平均が高値更新する中、前回高値(2015年8月)以降の時価総額増加ランキングが載っていました。
時価総額を最も増やしたのはキーエンス、減らしたのはトヨタでした。キーエンスは年収ランキングでいつもトップにくる、徹底的に数字と効率を追求する企業です。この記事は象徴的で、実は今が、キーエンスのような年収で幸福度を測るというモノサシがピークに来ていて、まさに転換するタイミングなのではと感じました。

新井:今の年収が高いからといって生涯幸せかどうかは分かりません。むしろ、幸せは社会から必要とされることで得られます。誰でも必要とされたい、と思うでしょう? 若い頃、外資金融にいた時は、周囲に流されて「早期リタイアしてハワイあたりで悠々自適」と夢見たこともありますが、今はそんなことは、全く、これっぽっちもやりたいと思いません。
年を取っても必要とされる社会が大事だと思います。世界に先駆けて超高齢化する日本は、世界にその姿を提案できるはずです。

枝廣:今50代ですが、人生のピークを90代に持って行きたいと思っています。体力はもちろん衰えていきますが、人間としてはゆるやかに成長していきたい。
「居場所」と「出番」があることが人の幸せにつながります。「働くこと」の意味を考え直す必要があると思います。

枝廣:有名な「マズローの欲求5段階説」がありますが、働く、ということはこの5段階の欲求(生理的欲求から自己実現まで)全てを満たせるものなんです。働くことはお金を稼ぐことだけではありません

英語で、「満足」には "Satisfaciton” と “Contentment" という2つの単語があります。Satisfacitonは、欲望が満たされたときに得られる満足。これは持続性がなく、次へ次へとどんどん大きくなります。一方、Contentmentは、ただ純粋に満たされている、という状態です。Contentmentが望ましいです。

新井:豊かさを年収や体力で測ろうとすると、年とともに衰えていきますが、これからは、人間的な魅力や感性の豊かさで測ればいいのではないでしょうか。評価のモノサシ、見方を変えることです。

鬼丸:人や国の成長も、ステージごとにさまざまな評価基準があってよい、というお二人の話を、途上国支援の世界に置き換えれば、「グローバリズム」ではなく「インターナショナリズム」でありたいと感じました。
グローバリズムは、キャンバスを全て同じ色で塗ってしまうことです。「アフリカは貧しい、だから支援が必要」という画一的な発想です。一方、インターナショナリズムは、たくさんの種類の花が咲く花壇です。いろいろな花が全体として美しい花壇をかたちづくる、というイメージです。
人生100年時代は、多様な価値観を用意しておくことが必要だということだと思います。

新井資本主義そのものの多様化、ということもあります。鎌倉投信の投資先である、カヤックの柳澤大輔さんが、「鎌倉資本主義」という面白い試みをしています。価値観が多様化するのなら、資本主義も多様化していい。それは「公益資本主義」、「共感資本主義」かもしれないし、どれか一つに絞らなければいけない、というものではありません。鎌倉資本主義は、鎌倉という地域起点の発想ですが、どんな資本主義を選択するか?というポジティブな観点からの取り組みでとても興味深いです。

新井年を取ること=価値あるものという「文化」をつくることが非常に大事です。元リッツ・カールトン日本支社長の高野登さんは、「110歳で過労死が理想」とおっしゃいましたが、年齢を重ねるほど人生の価値を高めていける、年を取ることがいいことだと思えるような社会をつくっていく必要があります。そのためには、社会全体の価値観の醸成と同時にひとりひとりの生き方の実践が大事です。

枝廣:人が亡くなったときに「志半ばで倒れた」と評されることがありますが、自分が死んだ時にはそう言ってもらいたいです。

お金に支配されないために

枝廣:お金の呪縛から解放されるためには、お金の「不都合な真実」を理解することが一助となります。
お金は人間の長い歴史の中では実は新しいもの。信用創造というカラクリのもと、国の都合で印刷できてしまうもの。そして、お金はそれ自体は紙切れに過ぎないものです。お金の意味をじっくり考えると、お金のために人生をかけるのはやめた方がいいということが分かると思います。

そして、繰り返しですが、地球は有限である以上、無限の成長はあり得ないということを認識しないといけません。有限の地球上で、お金を無限に増やせるという考え方はとても危険です。例えば、年2%の経済成長だとすると、単純計算で36年で倍の経済規模になりますが、36年後に今の2倍のCO2を排出することはどう見ても不可能です。

これからは、GDPでみた経済の「拡大」ではなく、「定常経済」にシフトすべきです。規模の追求ではなく、人が生き生きと暮らせるものを提供できる経済が大事です。

例えば、駿河湾の資源管理型の桜エビ漁は「定常経済」を実践している例です。再生産するための元本の部分には手を付けず、利子の分だけ取り、成果をみんなで分配する持続可能なシステムです。

枝廣:もう一つ、お伝えしたいのは「レジリエンス」です。レジリエンスは、外からの力に対して、ぽきりと折れることなく立ち直ることのできるしなやかな強さ、という意味で、個人にも地域にも当てはまります。

誰もが同じ価値観では、外から強い力がかかるとみんなが全部倒れてしまうので、レジリエンスのある社会には多様性が必要です。多様性は倫理の問題だけではなく、地域、国家の戦略として求められています。

ひとりひとりの行動で社会が変わる

枝廣淳子さんのお話は、3回の対談を総括し、まさに今回の大きなテーマである、個人の生き方、お金や経済との関わり方のヒントを示してくれる素晴らしい内容でした。

一方で、枝廣さんも言っていましたが、「関心のない人にどう伝えるか」という課題があります。自分もサステナビリティや投資の社会性に関心を持ち、できるところから実践していますが、そういった考え方がメインストリームになるにはさまざまなハードルがあります。

新井さんのまとめの言葉を刻みたいと思います。

『社会は「わたし」が、「だれ」が「変える」のではなく、ひとりひとりが「こっちだ」と思った時に変わります。だから、ひとりひとりがそれぞれのやり方で行動することです。』

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