投資、寄付、消費・・・私たちの「お金」が、持続可能で平和な社会とどのようにつながるのか? 認定NPO法人テラ・ルネッサンスの鬼丸昌也さんをファシリテーターに、お金とよい社会との関係を考える対談シリーズの最終回です。
最終回は、過去2回のゲスト、コモンズ投信の渋澤健さんと、京都地域創造基金の深尾昌峰さんが参加。さらに本質的で深い議論が展開しました。
(第1回)お金の流れに「ソーシャル」をプラスする(京都地域創造基金 深尾昌峰さん × テラ・ルネッサンス 鬼丸昌也さん)
(第2回)コモンズ投信 渋澤健さん × テラ・ルネッサンス 鬼丸昌也さん「平和につながるお金のつかい方」
今回はダイアログ形式でまとめました。内容を多少組み直したり私の解釈も入っています。
(以下、敬称略)
寄付と投資について
鬼丸:まず、「寄付」と「投資」について。寄付だけでは社会を変えていくには不十分?(深尾さんは、コミュニティ財団だけでなく社会的投資の仕組みを作っています)
深尾:寄付はもちろん大切だが、お金を出す人にとって「お金が返ってくるかどうか」はとても気になる。だから、投資の方がより「当事者意識」は高まる。寄付を「支援」だとすれば、投資は「参加」。
渋澤:寄付と投資のリターンは違うが、寄付もよりよい未来をつくるためのお金という意味では投資と同じ。だから、コモンズ投信では、寄付や社会起業家支援も本業として取り組んでいる。
ただ、「寄付」と「募金」は少し違う。募金はあげっぱなしの投げ銭のイメージなのに対して、寄付は相手とのキャッチボールであり、対話感や継続性が伴うもの。
鬼丸:「関係性」が共通項では?
深尾:寄付すると感謝されるのが普通だが、私のまわりでは、寄付する側の人が「寄付させてくれてありがとう」と言ってくれる。それはまさに寄付を通して社会との「関係性」を持てるから。寄付は、応援した団体に継続的に関心を持ち、参加するきっかけになる。
→ たしかに、投資や寄付をしてうれしいことの一つは、お金を託した先との関係性意識や、課題解決への参加意識を持てることだと思います。この点は投資も寄付も共通します。
一方、投資は寄付より金額が大きめで、かつ元本回収+αのリターンを前提とするので、出す側、受け取る側双方にとってよい緊張関係が生まれる面はあります。事業の性質にもよりますが、例えば、ミュージックセキュリティーズのファンドなどは、投資だからこそ、より大きなインパクトを生んでいる例だと思います。
お金の時間軸
渋澤:コモンズ投信は、長期投資=「未来を信じる力」だと考えている。最近、92歳の方がつみたてNISAの口座を開設してくれたことがありうれしかった。
鬼丸:未来のためにお金を使うためには、時間軸を長く持つことが大切だと思う。時間軸の長短によって、お金は社会にとって良いものにも悪いものにもなり得る。
→ コモンズ投信のコモンズ30ファンドは、次の世代を意識した30年目線で企業に投資しています。
また、前クールで、鎌倉投信・新井さんも、お金の時間軸について語っていました。人々が短期的な利益や効率ばかりを追求すると、いつの間にか本来の目的だった幸せよりもお金そのものが目的化してしまいます。
鎌倉投信 新井和宏さん×テラ・ルネッサンス 鬼丸昌也さん 「平和と資本主義の未来は『個人』がつくる」・第1回(8/21)
「想像力」と「創造力」
鬼丸:(「未来を信じる力」を受けて)元船井総研のコンサルタント・佐藤芳直さんの「人は唯一未来に恋することができる動物である」というとても好きな言葉がある。
渋澤:チンパンジーのように非常に高度な知能を持つ動物でも、過去の体験から学ぶことはできるが、山の向こうにいるチンパンジーを想像することはできない。しかし、人間は、見たことや行ったことがなくても、例えば鬼丸さんの話を聞いて遠いウガンダやコンゴの人々に思いを馳せることができる。そして、人間は、この「想像力」があるからこそ「創造」できる。
深尾:歴史から学ぶことが大切だと思う。昔の人から見て、今の世界は果たして望んでいた未来だったのか? 過去の立場から想像力を働かせて、今を疑ってみることが未来をつくることにつながる。
「意志」を持って選択する
渋澤:渋沢栄一の「論語と算盤」にある道徳経済合一説は、道徳「か」経済「か」という “or” ではなく、道徳「と」経済という “and” の考え方。「か」の発想はAIでもできるが、一見相矛盾する2つのものを、工夫や試行錯誤しながら組み合わせて新しい価値を創造する「と」の発想こそ、人間が持っている大事な力。
鬼丸:平和を想像して初めて、平和を創造することができる。「平和」と「経済」という対立しがちなものを両立するには、現状を肯定せずに想像力を働かせること。そして、想像力を働かせるためには「意志」を持つことが必要だと思う。
深尾:日本の地域社会は現実の危機にある。病院にも買い物にも行けない人が増えている。しかし、人口減少と高齢化は他人事ではなく、近いうちに都市の問題になる。ただ諦観して未来を受け入れるか、新しい社会をつくるのかという選択肢を意識しないといけない。地域にある昔からの自然資本を見直し新しい価値として再生している地域もたくさん出てきている。
→ インパクト投資の定義には、資金の出し手が経済的リターンだけでなく社会的なインパクトを生む明確な「意志」を持つこと、という要件が含まれます。個人でも機関投資家でも、意志を持って選択することが求められています。
What You Need to Know about Impact Investing | The GIIN
→ エシカル消費の普及に取り組む末吉里花さんは、「影響を、しっかり、考える」ことがエシカル消費だと言います。その買い物の先にあるものに想像力を働かせてモノを選ぼうという考え方も、投資の選択と同じではないでしょうか。
はじめてのエシカル−人、自然、未来にやさしい暮らしかた(末吉里花さん・著)
インパクト投資は「情けは人の為ならず投資」
渋澤:お金の方向性が変わってきている。最近思うのは「社会的インパクト投資」がブレイク寸前ということ。数年前には、大手の金融機関がインパクト投資のイベントに参加することは考えられなかった。GPIFなどの動きもあるが、金融機関も今のままではダメだと感じている。大きな背景としてはやはりESGやSDGsの流れがある。
深尾:インパクト投資は「情けは人の為ならず投資」。ある地域では、産廃業者さんが食品ロスの問題が到底持続可能ではないことに気づき、自ら廃棄物を減らそうと動き始めた。従来の銀行から見ると売上が減る取り組みには融資できないが、インパクト投資の世界では融資すべきということになる。
これは一例だが、(目先の利益ではなくて)持続可能な社会のモデルづくりを応援する金融は広がるだろうし、そこに市民も参加できるようになっていく。
鬼丸:マイナスな分野から投資を引き揚げる=ダイベストメントだけでは不十分で、平和、人権、持続可能な地域づくり・・・というプラスのものにお金が流れる仕組みを作ることがより大切。
「ソーシャルビジネス」「社会起業家」という言葉
参加者より質問:どんな企業も本来何らかの社会課題を解決するために存在するわけで、「ソーシャルビジネス」「社会起業家」という言葉に違和感はないか?
深尾:「ソーシャルビジネス」「ソーシャルセクター」という言葉は自分もなくしたい。地方では、中小企業、農家、住民・・・が自ら動いて地域の課題を解決しなければ暮らしが立ち行かなくなってきている。結果、誰もがソーシャルビジネス化していくし、これからは営利と非営利の区別もなくなっていく。
渋澤:その違和感はよく分かる。ただ、「社会起業家」という言葉は、アメリカで2000年前後のドットコムバブルへの反省として生まれ広まったもの。それ自体は分かりやすいしいい言葉だと思っている。
******ここまで******
対談は初というお二人でしたが、鬼丸さんの素晴らしい進行で、とても盛り上がりました。
かつてはヘッジファンドで「強欲な資本主義」の最前線にいた渋澤さんと、阪神大震災をきっかけにNPOの世界に入り、コミュニティ財団、社会的投資と領域を広げてきた深尾さん。真逆とも言えるバックグラウンドのお二人の価値観が今ではとても近い位置にあることが、社会の流れを象徴しているのではないででしょうか。
持続可能な社会に向けて、営利/非営利、個人/企業問わず意志をもって選択できるかが問われているし、投資や金融の世界ではその一つの方法がESG投資でありインパクト投資だと思っています。
まとめに、尊敬する河口真理子さんの本の一節です。
「無力に思えるひとりひとりがどうやってお金を使い、お金にどこに働きに行って、どうやって働いてもらうのかという選択をすることが私たちの将来を決めていくということです。」
(「ソーシャルファイナンスの教科書」より)
第1クール(メインゲストは鎌倉投信の新井和宏さん)とあわせ見直すとまた気づきがありそうです。ぜひ、過去の記事もご覧ください。
鎌倉投信 新井和宏さん×テラ・ルネッサンス 鬼丸昌也さん 「平和と資本主義の未来は『個人』がつくる」・第3回(ゲスト:幸せ経済社会研究所 枝廣淳子さん)
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